先日、瞑想を教えている講師の方にゼンタングルを体験してもらいました。
その時にちょこっとゼンタングルをやって見て、どの辺が瞑想と通じるかということを聞いてみました。
無心になることが瞑想とゆう訳でもない?
瞑想って、
お寺で座禅を組んで無心になる
みたいなイメージがあるんですよね。
ないですか?
で、邪念が入ると後ろからパーンッ!ってされるみたいな。(笑)
でも別にそれが、=(イコール)瞑想というわけでもないんですよね。
何かに意識して集中することで、日頃感じる、
不安とか、焦り、アレやらなきゃ、これやらなきゃみたいな強迫観念みたいな、
無意識に感じるようなストレスがなくなる。
その結果、ストレスから解放されて心と体が整う。
ということが大事なんだそうです。
つまり不安や焦りを感じないようにするには、「考えなければいい」んですよね。
でもそれって難しいですよね?
無心に、考えないように…
と意識してる時点でもう「考えて」ますよね。
「瞑想」することで心と体が整う。
だから「瞑想」はとても有意義だとは思うんです。
でもいざ「瞑想」しようと思うと難しい……
(自分だけかな?)
ただ、「瞑想」しなければ「瞑想状態」にならないわけではないんです。
何かに没頭した時は、そのことだけに夢中になるので当然、不安や焦りというのは感じなくなるわけで。
つまりそれはストレスから解放されていることにも通じるので、意図せず瞑想状態になっているとも言えるわけですよね。
(違ってたらゴメンナサイ)
つまり
「目の前のことで思考を満たす=余計な不安が消える=心と体が整う」
ということ?
編み物などをしてるときも瞑想状態になっているということかな。
編み物してる時ってなんか心が落ち着きますもんね。
ゼンタングルは創造性を体験することができる
瞑想の先生によると、ポイントは「タングル」、つまりパターンがあるということ。だそうです。
1つの模様・図柄を描くときに、パターン化されているので「絵」を描くことができなくても、創造的なものを描きあげることができるというのが、やはり最大の特徴であると。
「無」から何かを作り出すことはとても難しい。
ましてや普段から何かを「描く」ということをしてない人にしてみれば、いきなり何かを描くというのはかなりのプレッシャーになってしまうこともあります。
でもゼンタングルでは普段「絵」を描かない人や、描くことに抵抗のある人も、想像的なものを描くことができるんです。
なぜできるか、というと描くためにパターン化されたタングルがあるから。
これは本当にすごいことなんだそうです。
描くという行為で、自分でわからなくても、何かが湧き出る。
創造性の源を使って何かができる。
ということをゼンタングルで体験できる。
実は瞑想をすることで創造力が高まるんだそうですが、
ゼンタングルは瞑想の先の、創造性を体験できるんじゃないかと。
なるほど。
確かにゼンタングルを体験された方の感想で、
「まるで絵描きになった気分」
「絵、描けるんや!?」
と言って頂けることがあります。
ちなみに、創造性の源を体験することを瞑想で、
「神の筆づかいがわかる」
と表現されるそうです。
すごい素敵な表現ですね。
ゼンタングルと瞑想の関係性について
いろいろ書いてきましたが、シンプルにまとめるとやっぱり
「描くことに集中する=瞑想」
ですね(笑)
つまり、集中できる何か、没頭できる何かをしているときは瞑想状態になっているということでしょうか。
ランニングが好きならランニングしてる時。
ゲームが好きならゲームに没頭してる時。
とか(笑)
確かに好きなことをしている時は、不安や焦りなどを感じることもないですし、終わった後はなんとなくスッキリしますしね。
まとめ
まとめという程のまとめでもないですが。
拙いながらも、瞑想の先生にゼンタングルを体験した上で、さらに感想を聞くということもあまりないことかなと思って、自分なりに聞いたことを思い出しながらまとめてみました。
あんまりまとまってない上にわかりにくいですね……
瞑想や禅についての知識もあまりない人間が書いているので……(・・*)ゞ
もしかしたら間違ってたり、先生の意図したことと違う風に捉えてしまってることもあるかもしれないので、そんな考え方もあるんだな、と、ふわっと流してもらえれば。
もしちょっとでも参考になれば嬉しいな、と思って記事としてまとめてみました。
とりあえず瞑想マインドフルネス、禅について本でも読んでちょこっとでも勉強しようと思います。